
今回は「加藤官房長官が、ハードロックバンド『ヴァンヘイレン』のリーダーを追悼したこと、洋楽ロック好きの一面があること」を取り上げました。
内閣官房長官が外国のロックバンドのメンバーに弔意を表するのは、
あまりないことのように思いますが、どういう経緯だったのでしょう。
それでは、早速見ていきましょう。
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なぜ会見で追悼?
2020年10月6日にアメリカの世界的ハードロックバンド「ヴァン・ヘイレン(Van Halen)」のリーダー兼ギタリスト、
エドワード・ヴァン・ヘイレン(エディ・ヴァン・ヘイレン)が喉頭がんで死去しました。
65歳でした。
その翌日、加藤官房長官の定例記者会見で、
記者の一人が
「エディ・ヴァン・ヘイレンの死去をどう思うか」
と質問したのです。
それに対し、加藤官房長官は
「同じ年生まれでいろいろ思うこともある。
グラミー賞も獲得した世界的に有名なロックバンドで、
そのリーダーを失ったことは大変残念。心から哀悼の意を表したい」
と答えていました。
記者は加藤氏が洋楽好きであることを知っていて質問したようですね。
加藤官房長官も個人的に思い入れがあるのか丁寧に受け答えしていました。
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エディ・ヴァン・ヘイレンはどんな存在だった?
亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンはロックミュージックに大きな功績を残したロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のリーダー兼ギタリストでした。
ギタリストとしては高い演奏技術が評価され続けており、
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」2011年版では、
第8位に入るほどの影響力を持ったミュージシャンだったのです。
エディをリーダーとして、ヴァン・ヘイレンは1978年のデビューからヒットを飛ばし、
代表曲「ジャンプ」、「オー・プリティ・ウーマン」(カヴァー曲)などを発表し、
現在も愛されるハードロックバンドとなりました。
エディの死は世界中で悲しまれ、
彼よりも年上のリッチー・ブラックモアやオジー・オズボーンといった、
ロックシーンのレジェンドからも惜しむ声が聞かれました。
加藤官房長官は洋楽ロック世代
60年代後半~70年代は有名ロックバンドがキラ星のごとく活躍していた時代です。
加藤官房長官は1955年生まれなので、少年~青年期は洋楽ロック全盛といえます。
会見でも「昔からロックが大好き。
世代としては『レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)』の時代。私は『シカゴ(Chicago)』が大好きだった。
『ヴァン・ヘイレン』は少し後の世代だった」と語っていました。
『レッド・ツェッペリン』のデビュー年は1968年、
『シカゴ』のデビュー年は1969年です。
加藤官房長官が、13~14歳という多感な時期に触れた洋楽ロックということで、
特別な思い入れがあったのでしょう。
洋楽ロックについては会見内でも「個人的なことですが……」と前置きしてしっかり語っていたのが印象的です。
彼のロック愛がよく伝わってくる一幕でした。
当然ながら、伝説のロックミュージシャンも年を取り、やがては鬼籍に入ります。
そのたびに加藤官房長官も青春期の熱いロック魂を思い出し、
懐かしく、そして過ぎた時間を少し切なく感じるのでしょう。
以上、Nobieでした!
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